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電動車椅子に乗り電車を使って家まで帰るという事を始め、一年が経ちました。最初は「嘘だろ?」という気持ちでしたが、今では「心に余裕」というのが出てきて、少し時間が早いかな?と思うと北柏駅前にあるマクドナルドへ寄りホットミルクティーを頼み、休憩をしてから帰るという余裕が出てきて楽しい時間を過ごしています。今では私が行くと入りやすいようにと、なるべく手前の席を確保してくれたり、ジャンパーを一人では着れないので頼むと手伝ってくれたりと店員の皆さんには感謝!!感謝!!の一言につきます。
今では休日でも電動で電車へ乗り待ち合わせ場所へ向かい友達と遊んだりして休日も過ごせるようになり、自分でも行動範囲が広がったんだなという感じがします。
これからは更に行動範囲を広げ電動で色々な場所へ友達と一緒に行けたらいいなぁと思っています。


A
アテネオリンピックも終わりスポーツ好きの私としては少し寂しい毎日です。
私が一番注目の競技は女子バレーボールでした。オリンピックの出場をかけた予選や強化試合などには電動でサクセスから現地まで電車を乗り継いで行き駅員さんや駐輪場のおじさんに「バレーボール見に行くの?」「女子バレーはいいよね」などと盛り上がり会場では、私の隣で観戦していた人がとても親切に接してくれてまたそこでも「誰のファンなの?」などと話が盛り上がり有意義な時間を過ごす事ができました。
会場全体がニッポンコールの大合唱で包まれ、「会場全体で応援しているんだなぁ」という一体感があり、興奮する応援でした。また近くで試合やイベントがあるときは行きたいと思います。



B
新年明けましておめでとうございます。
九月十八日、電車を使い電動車椅子で周藤君や田山君達とプライベートで東京ディズニーランドへいきました。スプラッシュマウンテンやビックサンダ―マウンテンなどに乗り、あっという間に夕方、一足先に電車で帰りました。いつもの様に北柏駅で下車し、家のすぐ前の道路まで来て、手前側片斜線が渋滞していました。そこで車と車の間をゆっくり前進し、反対車線に出たところで左右を確認しながらゆっくりと前へ出ていきました。その時左側から来た車のライトが見えたので、後ろへ下がろうとレバーを握りましたが間に合わず左横から来た軽自動車のライト部分に電動のコントローラーがあたりコントローラーはグニャと曲がり、私は右に飛ばされ右肩を道路に打ちつけ倒れ込みました。
そして一分くらいぶつかった後ボーと意識が無く倒れ込んでいると母の「大丈夫?」という声が聞こえ「はっ」と気づき足の方を見てみると左の足がおもいっきり内側に曲がっており一目見て折れているなとわかりました。
北柏駅近くにある慈恵医大に向かう救急車の中ではあまりの痛さで声も出ない程でした。そして病院に着き、点滴など処置を受けていると大腿骨が骨折していることがわかり、手術をしないと元に戻らないから入院して下さいといわれた時には痛さとショックで声が出ませんでした。
そして入院生活が始まりました。最初の三日間くらいは水分や食事も嘔吐してしまい、睡眠もあまりの足の痛さと右肩の打ち身で寝られず、ショックなどもあり全身が動かず尾てい骨は床ずれになり、聞き手の左手も動かず、足は滑車で吊るされ、身動きがとれず痛み止めの点滴などを打ちながら仰向けになり痛みと戦っていました。
最初の頃は食事や水分補給も自分で摂れず、看護師さんに介助をしてもらいました。食事が摂れると看護師さんと話も弾み食事の時間が楽しみになっていく感じでした。そして看護師さんと仲良くなり、いつの間にか素直に友達感覚のように話している自分に気づき自然と「笑顔」も出て精神的にも楽になり、朝、起床時も笑顔で「おはよう」と言えるようになった時は嬉しかったです。手術や診察などで不安に押し潰されそうな時も「頑張ってね」と励まされ手術室では女性スタッフさんに「手術、不安?」と聞かれたので「はい、不安です」と答えると「大丈夫だよ」と優しく私の右手を握ってくれ、不安も少し和らいだかとなという感じでした。手術後はリハビリが始まり今まで動かさなかった所を動かすというキツさがありましたが終わった後に看護師さんが「お疲れ様」と言ってくれ頑張ろうと気が沸き嬉しい気持ちでいっぱいでした。
リハビリに慣れてくると心に余裕が出てきて同室の患者さんとも話が弾み退院する頃にはグループホームをしているような雰囲気で入院生活をエンジョイでき楽しく過ごせるようになり車椅子に乗り一人で食事が摂れるようになると同室の患者さんが「もう少しだ、頑張って食べろよ」などと声を掛けてくれ嬉しかったです。他にもドゥやサクセスのメンバーやスタッフ、介護体験生に面会に来てもらい嬉しかったです。そして時が経ち退院という言葉が出てくると退院が嬉しさと同室の患者さんや看護師さんとの別れがあり複雑な心境でした。十一月十三日、長かった約二ヶ月間の入院生活が終わり退院の日を迎えました。
今、振り返ってみると「看護師さんの励ましの一言」や「色々な人の優しさ」や「温かさ」に救われ「手術」「採血」「レントゲン」などの痛さに耐え乗り越えられたと思っています。その「一言」や「優しさ」が頑張ってみようという「目標」という言葉に変わり、人は一言で変われるんだなと思いました。
今ではリハビリと診察には通院しており骨の方は完全に着くまで一年以上掛かるといわれましたが気長にリハビリに通いナースステーションの方にも・・・と思っています。
やっぱり看護師さんの存在は大きいですね看護師さんの仕事は改めて大変だなと実感ができた入院生活でした。
看護師さん達には色々な面で救われ「感謝」の気持ちでいっぱいです。まさに「白衣の天使」でした。
その他の皆様にもご心配をおかけしました。
ありがとうございました。



C
今回は退院後の様子について書きたいと思います。
昨年十一月十三日に慈恵医大を退院しました。退院をして自宅に帰ってみると以前のように自由に身体が動かせなかったり、睡眠リズムが崩れから夜も眠れなかったりと改善していかなくてはいけないことが多いな〜と思いました。
睡眠は今でも崩れる事があり一度崩れると2日〜3日くらい眠れず身体がだるい状態になります。足の方は週一回のリハビリに通い屈伸運動や筋力トレーニング、平行棒での立位の練習をしています。
最近では先生とも冗談を言い合ったり、研修生(女性)とも立位の練習を楽しくやったりして有意義な時間を過ごしています。リハビリ終了後は病棟に行き看護師さんと近況報告などでおしゃべりをしています。
これからもリハビリに通い続け、体力、体調面に考慮をしながら週2回〜3回ですが通所をしていきたいと思います。


D
電動で交通事故を起こし一年が経とうとしています。
以前は電動に乗って普通に出掛けられた所も行けなくなっただけでなく、電動車椅子に乗ること自体が怖く感じるようになってしまいました。
退院後も「れいじ〜」に介助者の依頼をし、車やバスでリハビリのため慈恵医大に通院していました。そのように通っていたある日、介助者が見つかりませんでした。これをきっかけに電動で行ってみようと決意しましたが、この決心をするために九ヵ月間かかりました。それから少しずつですが怖さを克服してきていると思います。これがきっかけとなり、「次も」「次も」と言い聞かせ、自分ひとりで通うことが多くなってきています。
今では自宅からザザビーへ通うこともできるようになりました。まだまだ、以前のようには行きませんが、また色々な場所に出掛けられるようにがんばります。


E
最近は陽射しも暖かくなり気持ちの良い季節となりましたので電動での外出や通所を始めようかなと思っています。今まで練習として家の近所や病院に一人で出掛けたりしましたが、本格的に電動に乗り通所をするというのは、しばらくしていませんでした。恐怖感は多少ありますが、またバスと電車に乗り通所をしようと思います。そして慣れてくれば帰り道、寄り道をしながら帰りたいなと思っています


F

昨年12月に、横浜みなとみらいへ行ってきました。
柏駅から、電車に乗り2時間掛けてクイーンズスクエア横浜へショッピングをしに出かけました。
学校時代に教育実習で知り合った人へプレゼントを買いにビームスボーイでコートを買いました。


G
新年に入り、クラスメートのみんなと新年会をカラオケボックスでしました。
4年ぶりという事もあり久々に会えて嬉しかったです。
みんなと集まる機会も増えていけばいいなと思いました。


H

2月下旬に原宿にドラリオンを見に行きました。
テレビとかで話題になっていたので楽しみにしていました。
感想を文章にするのは難しいので、是非見に行ってみてください。


I
6月、7月と映画を見に行きました。今度はどこに行こうかな?…

ボッチャん。の my room

電動ふれあい紀行


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